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仙台地方裁判所 昭和38年(行)1号 判決 1965年2月22日

仙台市越路三三番地

原告

久慈照代

右訴訟代理人弁護士

林昌司

同市東二番丁七三番地

被告

仙台北税務署長

右指定代理人仙台法務局訟務部長

朝山崇

訟務部第一課長 新岡栄治

大蔵事務官 和泉昭一

伊藤栄喜

右訴訟代理人弁護士

伊藤俊郎

右当事者間の贈与税処分に対する審査決定取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和三七年五月一六日原告に対してなした贈与税決定処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、仙台市小田原北一番丁通三五番の一〇宅地八四坪四合九勺(公簿面)は、もと訴外内ケ崎武次郎の所有であつたが、昭和三二年一二月一日同人から原告の父訴外久滋三朗が代金五〇万円でこれを買い受け、次いで昭和三四年九月七日右宅地のうち六七坪九合九勺(公簿面、以下本件宅地という)を同人から原告が代金五五〇、七一九円で買い受け、同月一四日中間省略登記により右内ケ崎武次郎から原告に直接所有権移転登記をした。

二、原告は右久慈三朗に対し同月上旬右代金五五〇、七一九円を支払つた。

その支払代金は、原告が訴外帝国石油株式会社に対し昭和三二年一一、一二月の二回にわたり原告所有の石油および可燃性天然ガスの試堀出願優先権昭和二九年仙通産鉱政第二六二八号、同第二六二五号を合計五〇万円で譲渡し、同会社から受領した代金をもつてこれに充てた。

三、然るに被告は右原告、訴外久慈三朗間の本件宅地の売買をもつて、原告が右訴外人から贈与を受けたものと一方的に独断認定し、これを理由に昭和三七年五月一六日原告に対し五一一、九二〇円の贈与税の決定をした。

四、しかしながら右に述べたように原告の本件宅地の取得は贈与によるものではなく、又仮に贈与であるとしても右贈与税額は高額に失し、違法である。

よつて原告は被告に対し右違法な贈与税決定処分の取消を求める。

と述べた。

被告指定代理人および訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

請求原因第一項中、原告が本件宅地を訴外久慈三朗から取得した原因が、昭和三四年九月七日の売買によるものである点は否認し、その余は認める。第二項は争う。第三項は認める。第四項は争う。

と述べ、主張として、

被告が原告に対し贈与税五一一、九二〇円の決定をした理由は次のとおりである。

一、原告は本件宅地を訴外久慈三朗から贈与を受けて取得したものである。

(一)  原告は、本件宅地は右三朗から売買により取得したものとし、その資金は原告が訴外帝国石油株式会社に対し原告の試堀出願優先権を合計五〇万円で譲渡し、同会社から受領した代金であると主張するが、原告は右三朗の娘であつて、同人と生計を一にする無所得者であり、昭和三二年一月一日以降昭和三四年一二月三一日までの期間の分について、原告主張の右譲渡収入を含めて、被告に対し所得税の申告と納税をしたことも、被告から所得税の決定を受けたこともない。また原告は右期間中仙台市から市民税を賦課されたこともなく、右期間中に市民税を賦課されたのは世帯主たる右三朗だけである。

(二)  原告は、不服審査の段階において、その主張を頻々と変更し、本訴提起後も右主張と異なる主張をするなどその主張するところが一貫していない。

1、原告は、本件宅地を父三朗から買受けたものであると主張するが、不服審査の段階においては、訴外内ケ崎武次郎から買受けたと終始主張してきたのである。

2、原告は、本件宅地の代金は五五〇、七一九円であると主張するが、不服審査の段階では、右内ケ崎に支払つた代金として、昭和三七年五月二三日付被告宛の「贈与税決定に対する異議申立」、同じく同日付被告宛の「贈与税決定通知についての再調査申請書」と題する書面では一、七七九、八〇〇円としながら、同年一〇月四日付仙台国税局協議団本部宛の「審査請求に関する件で追加説明」と題する書面では五五〇、七一九円となり、更に同年一二月一一日付および同年一二月二九日付右協議団本部長宛の回答文書では五〇万円となつたのである。

3、原告は、本件宅地の取得資金の出所を訴外帝国石油株式会社に対する権利譲渡代金であると主張するが、不服審査の段階では右内ケ崎に対する支払代金の出所として、前記昭和三七年五月二三日付異議申立書および再調査申請書において、昭和三四年九月一四日(本件宅地の所有権移転登記の日)に五〇万円、その後一三〇万円、合計一八〇万円を七十七銀行から借入れたものであるとしながら、昭和三七年八月三〇日付被告宛の「贈与税決定に対する再審の件について追加説明」と題する書面では、昭和三四年一〇月三〇日に五〇万円、昭和三六年二月三日に一三〇万円合計一八〇万円を七十七銀行から借入れたのは事実であるが、代金の実際の支払は帝石からの権利譲渡代金八〇万円をもつてこれに充て、登記後右借入金のうち五〇万円と他からの借入金をもつて残金の支払に充てた、昭和三六年二月三日の借入金一三〇万円は右他からの借入金の返済に充てたものであると変り、昭和三七年一〇月四日付の前記協議団本部宛の追加説明書では、譲渡収入金または銀行借入金のいずれにしても原告の金で支払つたと一方で主張(この段階で原告自身の借入と主張する七十七銀行からの借入金の債務者は父三朗である)しながら、同じ書面で銀行借入金一八〇万円は建築費に消費したと矛盾する主張をなし、更に同年一二月一一日および同月二九日付の前記協議団本部長宛の回答文書では、原告の本件取得資金は帝石に対する権利譲渡代金であるとするに至つた。

(三)  以上の事実からして、本件宅地の所有権移転登記の日である昭和三四年九月一四日から約二年も前の昭和三二年一一月および一二月に訴外帝国石油株式会社から受領した譲渡代金五〇万円が、右登記の日原告から原告の父訴外三朗に支払われたとみるよりは、本件宅地が右三朗から原告に贈与されたとみるべきであることは明らかである。

よつて原告は相続税法第一条の二第一号、第二一条の二第一項により昭和三四年分の贈与税の納税義務がある。

二、右のように原告は本件宅地の贈与を受け納税義務があるのに、昭和三四年分の贈与税申告書を所轄税務署長たる被告に提出せず、これが納付もしなかつたので、被告は原告取得の本件宅地の昭和三四年九月一四日における課税標準価額を一、九七九、八六八円と算定した。その算定の根拠は次のとおりであるが、次に述べるように右価額はむしろ低きに失したのである。

(一)  本件宅地およびその周辺の土地の状況は、別紙図面記載のとおりであるが、昭和三四年分の本件宅地の路線価は、正面が坪当り二六、〇〇〇円、側方が同一一、五〇〇円である。そして昭和三〇年四月三〇日付直資四三国税庁長官通達「宅地の評価について」によれば、右側方路線価の正面路線価に対する割合は四四%であるから、路線の数に応ずる調整をすれば、本件宅地の所在する商業地域の場合一二%、即ち正面路線価の一二%増となる。そこで右調整した価額に本件宅地の登記面積六七坪九合九勺を乗じ、一、九七九、八六八円と算定したのである。もつとも右二六、〇〇〇円の路線価を基準とするについては、原告指摘のとおり本件宅地と右路線たる仙台市小田原北一番丁通との間に別紙図面のように同通三五番の九公衆用道路が介在することは事実である。しかし次の理由により、いぜん右路線価をもつて本件宅地の路線価とすべきものである。

1、路線価による宅地の評価は、同一の目的に利用されている一画の宅地ごとに評価すべきである。けだし経済的に同一の利用目的に一体として供されていた土地について、単にその一部分が地番を異にするという理由で、路線に面しないものとして評価しなければならないとするならば、同一目的に供されている同一地番の宅地を単に分筆することにより直ちにその合計評価額は変ることになり、甚だしく不合理だからである。

2、訴外久慈三朗は、昭和三四年九月七日右三五番の九公衆用道路をその実質上の所有者である訴外内ケ崎武次郎から買受け引渡を受けたうえ、同月一一日右道路の持分六分の一を、三五番の二二宅地一六坪五合(原告主張の訴外内ケ崎から訴外三朗に売渡した旧三五番の一〇から分筆したもの)と共に訴外松田左近に対し、中間省略登記をもつて売渡した。従つて本件贈与の日たる昭和三四年九月一四日当時、右公衆用道路の三朗の持分は六分の五であつたが、三朗が右松田に転売した右道路の持分六分の一は三五番の九の一部と三五番の二二とが隣接するため、三五番の九の一部利用権ともいうべきものであり、三五番の九のうち三五番の一〇に接する部分に対する三朗及び原告の権利を制限するものではなかつたのである。

3、事実右三五番の九は巾一間弱、長さ八間強の細長い僅々八坪にすぎない土地であるが、当時原告所有建物があつた本件宅地と小田原北一番丁通りとの間には表道路沿いに板べいおよび表門を設け、その内側の右三五番の九の土地のうち本件宅地に接続する部分(別紙図面イの部分、巾一間弱、長さ五間強)を庭および玄関に至る通路としていたのであり、右利用状況は本件贈与の前後を通じ何ら変りがない。それ故三五番の九の土地は独立してその効用を果していたものではなく、全く本件宅地と一体をなし、同一の利用目的に供されていたのであるから、当然小田原北一番丁通の路線価を適用すべきものである。

(一)  被告は右に述べたとおり本件宇地の登記面積をもとにし、奥行調整を加えることなく評価したのであるが、宅地の評価に当つては、評価宅地の実測面積をもとにし、奥行間数をも加味して算定すべきものである。本件宅地の実測面積等は別紙図面記載のとおりであるから、右の点を加味して修正評価すれば、その価額は二、一八八、四九二円となる。

(三)  右路線価は時価よりもかなり低めに定められているのであつて、このことは本件宅地の転売価額および金融機関等のなした評価額等からみても明らかである。

1  原告は、本件宅地を昭和三七年八月一〇日訴外株式会社青木正雄商店に総額六、七〇一、六〇〇円で売却しているが、右価額は本件宅地に隣接する土地を加えた実測八五坪四合七勺に対するものであるから、本件宅地の実測面積八〇坪九勺に相当する対価は六、二七九、七六〇円であり、訴外日本不動産研究所発表の「六大都市を除く市街地価格推移指数表」に基づき、本件所有権移転の日たる昭和三四年九月当時の価額を逆算すると三、〇二九、〇六一円となる。右価額は本件宅地の現実の交換価額を基準にするものであつて、時価に最も近い値いであるというべきである。

2  なお銀行の担保見積価額は、銀行業の常として、時価に比しかなり低目に見積つたものであることに留意すべきであるが、原告が父三朗の訴外株式会社七十七銀行からの借入金債務の担保として本件宅地に低当権を設定した際の同銀行の見積価額でさえ、それぞれ次のとおりである。

(1) 右銀行が貸付金額五〇万円に対して根抵当権の設定をうけた昭和三四年一〇月三〇日における右銀行の本件宅地の見積価額は二、〇三九、七〇〇円である。

(2) 又右銀行が貸付金額一三〇万円に対して抵当権の設定をうけた昭和三六年二月三日における右銀行の本件宅地の見積価額は三、三九九、五〇〇円である。これから前記指数表により昭和三四年九月当時の価額を逆算すると、二、一七二、一四八円となる。

三  右に述べたとおり被告の評価額は時価よりかなり低いものであり、本件宅地の評価は三、〇二九、〇六一円となるのが最も時価に近い妥当なものである。従つて仮に原告主張のように原告が売買によつて本件宅地を取得し原告主張の売買代金五五〇、七一九円を訴外三朗に支払つたとしても、右売買代金は本件宅地の時価に比し、著るしく低く、相続税法第七条にいわゆる低額譲受に該当し、その差額二、四七八、三四二円は贈与とみなされ、これに対する納税義務があるものといわなければならない。

四  以上のように被告の本件宅地の評価額は、原告主張のように高きに過ぎることはないのであるから、これを基準として基礎控除等法定の操作をし、法定の税率に従つて本件贈与税額を五一一、九二〇円と算出決定した被告の処分は適法である。

と述べた。

原告訴訟代理人は右主張に対する答弁として、

第一項中、原告が訴外久慈三朗の娘であることは認めるが、原告が右三朗から本件宅地の贈与を受けたとの事実は否認する。親子であるからその間の売買はありえないというのは偏見である。又被告主張の昭和三七年五月二三日付異議申立書および再調査申請書において本件宅地の売買代金を一、七七九、八〇〇円としたのは、原告の代理人税理士訴外戸田米哈以理が、同月一六日付被告からの贈与税決定通知書記載の課税標準価額を誤つて記載したものであり、その後被告主張の追加説明書において「右売買代金を五五〇、七一九円と訂正したのである。右戸田税理士は、最初から誤りを繰り返し、且つ事実に基づかないで多分に予想や想像を記載申請した。これが原告の従来の主張の一貫性を阻害する結果になつたのである。

第二項中本件宅地およびその周辺の土地の状況が別紙図面のとおりであること、被告主張の頃本件宅地上に原告所有建物があり、本件宅地と小田原北一番丁通との間に表道路沿いに板べいおよび表門を設け、その内側である三五番の九の土地のうち別紙図面イの一部を通路として使用していたこと(右通路として使用していたのはイのうち東側九尺位の部分であつてその余のイの部分は原告が訴外三朗から本件宅地を買い受けて間もなく家屋を建てたのでその敷地となつたものである)は認めるが、その余の算定の根拠は争う。

昭和三五年および昭和三六年における本件宅地の路線価は、それぞれ坪当り一二、〇〇〇円および同一六、〇〇〇円である。全国市街地価格指数によれば、昭和三四年九月の住宅地の指数二四四に対し昭和三六年九月のそれは四二五と約一倍半の上昇を示しているから、昭和三四年の本件宅地の路線価も右に応じた低い値であつた。仮に被告主張のように同年の路線価が二六、〇〇〇円および一一、五〇〇円であつたとしても、本件宅地は右二六、〇〇〇円の路線に面しているわけではないのであるから、これを算定の基準とすることはできない。又数筆が連続しかつ同一目的に使用されている土地であつても、それらの土地は、同一路線価で評価されるべきではなく、一筆ごとに評価さるべきものである。一筆の土地においても、その奥行に応じ評価が異なるべきであつて、事実そのような例がある。被告主張の三五番の九の所有関係は、原告において、昭和三四年九月四日の本件宅地の売買当時訴外内ケ崎武次郎からその持分六分の一を譲受け、昭和三七年九月七日訴外越田久治からその持分一二分の二、訴外安積和夫、同石垣正治から各その持分一二分の四ずつを譲受けたものであつて、右本件宅地の売買当時は持分六分の一しか有しなかつたものであり、被告主張の如き所有関係ではない。

と述べた。

証拠として、原告訴訟代理人は、甲第一、二号証、第三号証の一、二、第四号証、第五号証の一ないし三、第六、七号証、第八号証の一ないし四を提出し、証人久慈三朗(第一回)、同渡辺忠二(第二回)の各証言を援用し、乙第一五号の一ないし三、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八、一九、二三、二五号証、第二六号証の二の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認める、乙第七、九、一一、一四号証の各一、二、第三〇ないし三二号証を利益に援用すると述べ、被告指定代理人および訴訟代理人は、乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三、四号証、第五号証の一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一、一二号証の各一、二、第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証の一ないし三、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八ないし二五号証、第二六号証の一、二、第二七ないし三五号証を提出し、証人渡辺忠二(第一回)同高橋宏、同高橋昌三、同芦田良治、同戸田米哈以理、同久慈三朗(第二回)の各証言、原告本人尋問の結果を援用し、甲第三号証の二、第五号証の一ないし三、第八号証の二、四のうち原告の記入部分の成立は不知、その余の甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

一、次の事実については当事者間に争いがない。本件宅地はもと仙台市小田原北一番丁通三五番の一〇宅地八四坪四合九勺(公簿面)の一部であつて、訴外内ケ崎武次郎の所有であつたが、昭和三二年一二月一日同人から右八四坪四合九勺の宅地を原告の父訴外久慈三朗が代金五〇万円で買い受け、次いで昭和三四年九月中に右宅地のうち本件宅地六七坪九合九勺(公簿面)を右三朗から原告が取得し、同月一四日、中間省略登記により右内ケ崎武次郎から原告に直接所有権移転登記をした。被告は右三朗、原告間の本件宅地の移転をもつて、原告が右訴外人から贈与を受けたものと認定し、これを理由に昭和三七年五月一六日原告に対し贈与税五一一、九二〇円の課税決定をした。

二、そこでまず右訴外久慈三朗、原告間の本件宅地の譲渡が被告主張のように贈与であるか否かの点について判断する。

成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、証人渡辺忠二(第二回)、同久慈三朗(第一回)の各証言および原告本人尋問の結果によれば、前記のように原告は右三朗の娘であるが、従前から同人と同居し、本件宅地の譲渡があつた頃には右三朗の経営する旅館業の手伝いをし、同人と生計を共にしていたこと、原告はその頃事業税、遊興飲食税、市民税、所得税などを賦課されたことがなく、右三朗が昭和三三年度から市民税の均等割を賦課されたに過ぎないことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

又成立に争いのない乙第三、四号証、第五号証の一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一号証の一、二、第三〇ないし三二号証によれば、原告は不服審査の段階において、本件宅地は当初右三朗が訴外内ケ崎武次郎から買受ける契約をしたが、その後これを解約し、あらためて右内ケ崎から原告が直接これを買受けたと主張し続けてきたこと、右内ケ崎に支払つた代金及びその資金として、当初はイ代金は一、七七九、八〇〇円である。資金は七十七銀行から右所有権移転登記の日に五〇万円、その後一三〇万円計一八〇万円の借入金であると主張したが、その後ロ、右資金は訴外帝石からの権利譲渡代金八〇万円、右移転登記後七十七銀行から借入れた金五〇万円および他からの借入金である。イ、の七十七銀行からの借入金一三〇万円は右他からの借入金に充当した。ハ、代金は五五〇、七一九円他に登記料等の費用約一〇万円をみると計約六五〇、七一九円である。イ、ロに述べた七十七銀行からの借入金一八〇万円は建築費に費消した。ニ、代金は五〇万円である。ホ、実際の代金は五〇万円であるが、売買登記価額が五五〇、七〇九円である。と逐次その主張を変えたことを認めることができ、右認定に反する証拠はなく、更に本訴において右不服審査の段階における主張が一部変更されたことは原告の本訴における主張から明らかである。

もつとも成立に争いのない甲第六号証、証人久慈三朗(第一回)、同戸田米哈以理の各証言によれば、当初売買代金を一、七七九、八〇〇円と述べたのは、右戸田税理士において、原告の依頼の趣旨が贈与ではなく売買であるから不服申立の手続をとつてもらいたいというにあつて、その売買代金がいかほどであるかの点については何ら触れなかつたので、本件宅地の課税価額の点については別に異存がないものと考え、被告からの贈与税決定通知書記載の課税価額をそのまま記載したものであることが認められ、又前出乙第六号証によれば右ロ、の主張は右戸田税理士の推測によるものであることが窺われるが、その他の点についても右戸田税理士において原告らの意思に基づかず予想や想像を加えて書面を作成したとの原告主張については、これに副う証人久慈三朗の証言(第一回)もあるが、証人戸田米哈以理の証言に徴して信用できず、原告又は訴外三朗自身が不服審査の段階および本訴提起の段階を通じてしばしばその主張を変え、その主張に明確さを欠いたことは明らかである。

以上のように、原告が訴外三朗の娘であつて同人と同居して生活し、当時同人の旅館業を手伝い、生計を共にし、各種税金を課されるほどの所得もなかつたこと、更にその売買であるとする主張が、その買受けの経路、代金、資金の出所などにおいてしばしば変更され明確さを欠いた点などを総合すれば、訴外三朗、原告間の本件宅地の譲渡は贈与によるものであり、当事者間に争いのない原告が本件宅地の所有権移転登記をうけた日および弁論の全趣旨によれば、右贈与は昭和三四年九月中になされたものと推認することができ、右認定に反する証人久慈三朗の証言(第一、二回)原告本人尋問の結果は信用せず、甲第五号証の一ないし三も右認定を覆すにたらず、他に右認定を左右するにたりる証拠はない。

してみれば、被告が訴外三朗、原告間の本件宅地の移転をもつて贈与であるとし、原告に贈与税を課したのは正当であり、この点に違法はない。

三、よつて次に右税額の算定の点につき検討する。

(一)  本件宅地およびその周辺の土地の状況が別紙図面のとおりであることについては当事者間に争いがなく、証人渡辺忠二の証言(第一回)および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一五号証の一、三によれば、相続税財産評価基準としての昭和三四年の別紙図面記載の小田原北一番丁通道路の路線価は坪当り二六、〇〇〇円、他方の道路のそれは一一、五〇〇円であることが認められ、原告記入部分を除いて成立に争いのない甲第八号証の一ないし四、成立に争いのない乙第一四号証の一、二、も右認定を左右するにたらず、他にこれを左右するにたりる証拠はない。

(二)  そこでまず本件宅地の価額の算定に当つて、右小田原北一番丁通の路線価の適用があるか否かについて争いがあるので検討する。

1  証人渡辺忠二の証言(第一回)およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第一九号証によれば、昭和三〇年四月三〇日付をもつて「宅地の評価について」と題する国税庁長官通達が出されており、右通達によれば、路線価の設定された地域内にある自用宅地の価額は、同一の目的に利用されている一画の自用宅地ごとに評価すべき旨定められており、必ずしも宅地の筆数によらないことが認められる。

2  ところで別紙図面記載のように本件宅地と小田原北一番丁通との間に三五番の九の土地が介在していることについては前認定のとおりであり、成立に争いのない乙第二四号証によれば、右三五番の九の登記簿上の所有関係は原告主張のとおりであると認められるが、右乙第二四号証、成立に争いのない乙第二六号証の一、第二七ないし二九号証、第三三号証および右第二七ないし二九号証により真正に成立したものと認められる乙第二五号証、第二六号証の二によれば、右三五番の九はもと遊郭業者三三名の共有であつたところ、昭和三四年六月前記内ケ崎武次郎がその全部の持分の贈与を受け、次いで同年九月七日同人から訴外三朗が右全部の持分を買い受け(その代金は前記両人間の宅地の売買代金五〇万円に含ませた。)、同日更に同人から訴外松田左近に対しその持分六分の一を、三五番の二二宅地一六坪五合(右は前記訴外三朗が訴外内ケ崎から買い受けた三五番の一〇宅地八四坪四合九勺のうち本件宅地を除いた残余の部分である。)と共に転売したこと、従つて本件宅地の贈与当時には右三朗において右三五番の九の持分六分の五を有していたことを認めることができ、証人久慈三朗の証言(第一、二回)中右認定に反する部分は信用せず、他に右認定に反する証拠はない。

そして本件宅地の贈与当時右宅地上に原告所有建物があり、右三五番の九の土地が別紙図面のように巾一間弱、長さ八間強の細長い八坪位の土地であつて右三五番の九と小田原北一番丁通との境界に沿つて板べいおよび表門が設けられていたことについては原告の認めて争わないところであり、前出乙第二七、二九号証によれば、訴外三朗は、昭和三二年訴外内ケ崎武次郎から本件宅地を買い受ける以前から右宅地を転借し、旅館業を営んでいたものであるが、その頃から前記板べいおよび表門の内側である右三五番の九の土地を同人方の庭および玄関に至る通路として利用し、前記三五番の二二および右三五番の九の持分六分の一を転売した後は右転得者において別紙図面ロの部分を建物の敷地に利用し、右三朗方においては別紙図面イの部分を従前通り利用し、右利用状態は本件宅地の贈与の前後を通じて変らなかつたことを認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。

以上の事実からすれば、本件宅地の贈与の前後を通じて右三五番の九の土地のうち別紙図面イの部分は本件宅地と一体をなし、同一の利用目的に供されていたというべく、又その位置、面積、形状からして、右三五番の九はもともと本件宅地或は三五番の二二の一部として利用するほかはないような土地であるともいいうるのである。

3  然らば、前記通達によれば、本件宅地は右三五番の九と合わせて評価されるべく、別紙図面のように右三五番の九が小田原北一番丁通道路に面していることについては当時者間に争いがないのであるから、本件宅地の評価に当り右道路の路線価を適用すべきは明らかである。

(三)  よつて本件宅地の評価に当つては右小田原北一番丁通の路線価坪当り二六、〇〇〇円の適用があるものとして、進んで右宅地の評価が適正になされたか否かの点を検討するに、証人渡辺忠二の証言(第一回)および前出乙第一九号証によれば、前記通達は本件宅地のように二路線に面している場合には、その高額の方を正面路線とし他の側方を側方路線として正面路線価を基準に算出することになるが、側方路線価の正面路線価に対する割合に応じ、且つ当該地域が繁華街、商業地域、住宅地域のいずれに属するかに応じて一定率の割増調整をすべき旨定められていること、本件宅地は右通達の商業地域に該当することが認められ、従つて本件宅地の登記面積をもとにして右通達所定の路線の数に応ずる割増調整をすれば、被告主張のとおり本件宅地の評価額は一、九七九、八六八円となることが明らかである。

ところで右各証拠によれば、右通達は当該宅地の実測面積をもとにして算定すべく、又路線から奥行間数により一定率の割引調整をも行うべきことを定めていることが認められ、当事者間に争いのない別紙図面のような本件宅地の路線からの奥行間数、面積から如上の点を加味してその評価額を修正算定すれば、二、一八八、四九二円となることが明らかである。

してみれば、被告が本件宅地を一、九七九、八六八円と算定したについては一部通達に合わない方法によつたといわなければならないが、少くとも原告主張のように同人に不利益に算定した瑕疵はないといわなければならない。

(四)  更に、訴外三朗が昭和三二年一二月訴外内ケ崎から本件宅地および前記三五番の二二を五〇万円で買い受けたことについては当事者間に争いがなく、右売買価格から前出乙第一四号証の一、二、(財団法人日本不動産研究所発行の「六大都市を除く地域別市街地価格推移指数表」)により昭和三四年九月の本件贈与当時の本件宅地の価格を算定すれば、被告の前記算定額一、九七九、八六八円は右推定額より著るしく高額であると認められるが、他方成立に争いのない乙第一二号証の一、二、第一三号証、前出乙第二四号証によれば、原告は訴外株式会社青木正雄商店に対し、昭和三七年八月一〇日本件宅地および前記三五番の九の持分六分の五を(右持分は前記のように訴外三朗が取得したものであるが、右乙第二四号証によれば、その後更に原告に移転したものと認められる。)実測八五坪四合七勺として六、七〇一、〇〇〇円で売却したことを認めることができ、右事実から前記指数表により昭和三四年九月当時の本件宅地の価格を算定すれば三、〇二九、〇六一円となることが認められ、又証人高橋宏の証言により真正に成立したものと認められる乙第一七号証の一によれば、本件宅地を担保にとつた銀行の昭和三四年一〇月三〇日における本件宅地の見積価額は二、〇三九、七〇〇円であり、昭和三六年二月三日のそれは三、三九九、五〇〇円であることが認められ、後者の価額を前記指数表により昭和三四年九月当時の価格に逆算すれば二、一七二、一四九円となることが認められ、これらの事実に証人芦田良治の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第二三号証の記載を合せ考えると、被告の前記算定額は時価に比し、決して高額ではなかつたことが認められる。

(五)  然らば被告が本件宅地の価額を一、九七九、八六八円と算定評価したことについて、相続税法二二条およびこれに基く前記通達に違反した違法、不当はないものというべく、右価額をもとにして基礎控除等法定の操作をし、法定の税率に従つて本件贈与税額を算定すれば右は五一一、九二〇円となることが明らかであるから、被告が右同額の贈与税を決定した点についても何らの違法、不当はない。

四、以上述べたように、被告が原告に対し訴外三朗から本件宅地の贈与を受けたものとして五一一、九二〇円の贈与税を決定した処分について何らの違法、不当もないから、これあることを理由に右処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がない。

よつて原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鳥羽久五郎 裁判官 和田啓一 裁判官 後藤一男)

別紙図面

<省略>

北一番丁通道路から奥行10間以下…A+B+C+D=59.216坪

〃 10間超過…E+F+G=15.784坪

〃 12間超過…H+I=5.094坪

計 80.09坪

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